恋愛至上主義とオルタナティブの衰退、および復活? part2~「ヤングアダルト」の「ライトノベル」への敗北

恋愛至上主義とオルタナティブの衰退、および復活? part1 - フィードバックループの外へ

の続き。

 

カラフル (文春文庫)

カラフル (文春文庫)

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

 

 

猫の名前

猫の名前

 

  「ヤングアダルト」というジャンルがある(あった)。児童書よりも年齢が上、かつ、一般の「文学」よりも下で、中学~高校くらいをターゲットにした小説で、米欧だとトワイライトがそうだろうか。YAと略したりする。

 

トワイライト 上 (ヴィレッジブックス)

トワイライト 上 (ヴィレッジブックス)

 

 

 こういうブログもあったりする。


Librarian Nightbird

YA(ヤングアダルト:13~19歳の青少年ための文学作品)中心の読書日記&YA文学関連ニュースなど追っていきたいと思います。

 

 で、10年弱前に話題になった直木賞作家・森絵都「カラフル」は、わかりやすくYAらしい作品なのだと思う。一度倒産してビッグカメラの孫会社になった理論社による1998年の出版となっている。ネタバレであらすじを紹介すると、

 

・主人公は自殺を図った男子中学生だが、天使うんぬんの見計らいで生き返る

・母親が不倫、後に反省

・父親は窓際族で、上司の不祥事を喜ぶクズ、と思いきや違う

・兄は冷血、と思いきや違う

・憧れの同級生は援助交際、でも後に反省

 

 自殺しようとした時点では、周りの人たちに失望していたが、実はその人たちもそれぞれの苦難を抱えて生きていて、主人公は一面しか見ていなかった。(≒題名のカラフル)

 といった内容。言い換えると、自殺した時点での認識から、再検証してみたところ新たな別の認識に達して、結論としては、一度死を決意したにしろやっぱり生きていこうとする、という主人公を扱った物語だ。結構なベストセラーとなった。アニメ化もされた。

 

 個人的な感想を言うと、これは人情話だな、というところだ。人情話とは、良い人間しか登場しない話、もしくは、愚かな人間がいたところで根は良い人間、といった登場人物しか出ないドラマのことだ。寅さんとか、三丁目の夕日とか。

 逆のところに行くと、ノワールというのがあったりする。

 

不夜城 (角川文庫)

不夜城 (角川文庫)

 

  悪人ばっかり。

 

破門 (単行本)

破門 (単行本)

 

  こないだの直木賞がこれ。欲に目のくらんだヤクザとヘタレの楽しいコンビによる珍道中、といった感じか。直木賞なのに売春街の十三に行こうとしたりいいんだか。

 

**********************

 

 で、本題。ヤングアダルトというジャンルは何を目指していたのか。現状、どうなっているのか。米欧での状況はどうなのか。

 といったあたりをソースを出さずに言うと、古典的な「文学」が80年代・90年代くらいからポストモダン文学になり難解化して、青少年が人生の手本に読むには難しくなり、そこの隙間に入るために生まれたのが「ヤングアダルト」というジャンルになる。

 たぶん米欧でも同じような感じで、というか日本が向こうを真似した感じで、昔のほうが早熟というか、なるべく早く大人文化に馴染もうと背伸びする傾向があったのに対して、子供文化(若者文化)に留まろうとする傾向が出てきたので、橋渡しとして出てきたのがYAになる。何を目指したかというと、児童文学(~小学生)から、文学(高校・大学~)の間を埋めるもの。

 で、米欧ではまだ生き残ってるのだろうと仮定する。日本ではライトノベルとマンガに負けた、と考えていいと思う。

 

 「カラフル」は、不倫する母に、人として信用できない父と兄、売春する同級生の女、と様々な困難が主人公の周りにはある。が、その周りの人たちは「告白」してくる。自分は間違っていたと。勘違いだと。

 ここの部分、特に売春(援助交際)に限定していうと、同級生の女がそういった告白(反省)をしてきた経験のある男というのはいるだろうか?

 

 たぶん、いないだろう。援交少女は眼中にない男にわざわざ告白しないし、本命の相手にもなおさら告白しない。隠したまま生き続ける、というのが実際のところで、「カラフル」の主人公のように心が晴れることはないまま、「憧れの女子は実は中年男と金で・・」という悶々を抱えたままなのだろうと思う。(仮に言うとしても、付き合って半年とか関係が深まってからの「告白」だろう)

 

 

頭文字D(48)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

頭文字D(48)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

 シリーズの最初のほうで、そのあたりをテーマにしたイニシャルDだが、それでも「告白」と「更正」がある分、甘いほうなのかもしれない。(性を売りにした、という部分は別に問題ではなく、楽して稼いだ、という反省くらい)

 援交少女は告白しない。隠したまま生き続ける。というか、性を売って何が悪いのだ?

 

 それは、男が風俗に行くのと同程度に、女が性を売るハードルが下がった、ということもあるのだろう。繁華街で客引きに連れられ、数千円~払えば日本人男性は性を買える。一番安くて4000円くらいだろうか? 

 対して、女のほうも、それくらいの安易さで性を売ることができる。出会い系サイトなり、何なり。(実態はそこまで知らないが)

 

 男がわざわざ風俗に行った経験を告白したりしないように、女も数回「ウリ」をやった経験を告白したりしない。それが今の日本だろう。

 性を売って何が悪いのだ? というとベストセラーのこれか。

 

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

 

 

 

***********************

 

 「カラフル」は、やっぱりそこの部分が甘いし、リアリティがないと思う。だから、はてなでの言及回数が274件で、2000年代ライトノベルの代表作「涼宮ハルヒの憂鬱」の1501件に対して1/5になっているわけだ(2014/11/23現在)。つまり、特に若い男性から支持されなかったと。

 

 理論社の倒産と、ドワンゴと合併するにしろ角川の発展と、そこのあたりが日本の文化的、物語消費的な現状なのだと思う。上のほうで挙げた「猫の名前」は思春期の少女の揺れる心を描いたYAの秀作だと思うけれど、やはり甘いのかもしれない。ネタバレで書くと、

 

・主人公は中3の女子で、隣の家の主婦に勉強を教えてもらっている

不登校の同級生から「私が死ぬのはあなたのせい」と来るも狂言。あなたのせいで手首を切ったという同級生は、実は切ってない。

援助交際してたという噂の出た友人は無実

・隣家の主婦への反発と和解がある。

 

 良い作品なんだけど、踏み込みが足りないと思う。

 

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

 

 

 本当に、同級生が手首を切っていたらどうなのだろう? 

 

 まあ、統合失調症双極性障害などの精神病まで行かないにしろ、ボーダーラインや自己愛性人格障害の人というのを「共感」で理解しようとすると無理があるわけで、そこまでを包容するほどの作品をYAで用意しろというのが無理な話か。だからまあ、リアリティがなくて、ひぐらしみたいなのが流行ったりなのですよ。

 

ひぐらしのなく頃に 第一話 鬼隠し編 (上) (星海社文庫)

ひぐらしのなく頃に 第一話 鬼隠し編 (上) (星海社文庫)

 

 

 「ホラー」というのは、予防接種のようにその対象を克服するためのものだとか。理解できないものを理解できないものとして受け入れる、という物語の作法というか、理解しなくていいんだ、という物語。

 いずれにしろ、ライトノベルが同時代の空気をつかんだのに対して、ヤングアダルトは敗北した、その分かりやすい結果が理論社の倒産、ということなのだろうと思う。