恋愛至上主義とオルタナティブの衰退、および復活? part1

 恋愛はしないといけないものなのか。

 

 このあたり、思想史なところを時代時代の流行語から解説していったら、一つの論文になるだろうなと思う。

 バブル期のトレンディドラマ(80年代~)、自分探し(≒女子の自己実現)、90年代後半の援助交際(女性による性の商品化の安易化)、00年代の非モテ論壇、草食系男子、婚活ブーム、プア充、マイルドヤンキー、そしてオタク文化(萌え・BL、日常系アニメ、AKB人気からのアイドルブーム、堅調なジャニーズ人気)などなど。

 

 とはいえ、思想なり言論なりで何かやったところで、結論として婚姻率は漸減しているのが実際のところ。「婚活ブーム」というのが嘘だと見なす人もいるが、マスメディア上での登場もあって意識の上では盛り上がったのだろうと思う。一部の人は積極的に行動もした。でも、数値の上では大きなトレンド(婚姻率の低下)が変わることはなかったと。

 

 もう少し限定して言うと、2011年の大震災後の「絆婚ブーム」というのがあったが、捏造だったというか、マスコミがミスリードを誘って言い出した、というのが今では定説だろうと思う。パンケーキだとか、食べるラー油なんかはともかく、結婚という人生の一大事をマスコミに煽らされたぐらいで性急にする、ということは普通ない。

 

 まとめると、マスメディア上での流行語や、論壇なり文化人なり、広告代理店の仕掛けなりで、言葉(意識)の部分での右往左往はあるにしろ、全般的に日本人は結婚も恋愛もしなくなっていってる、というのが実際のところ。でも、街中を歩けばカップルや家族連れがいるように全く恋愛や結婚がなくなったわけでもない。ここまでは前提条件。

 

******************

 

結婚の条件 (朝日文庫 お 26-3)

結婚の条件 (朝日文庫 お 26-3)

 

 

 恋愛至上主義という言葉がある。英語だと、ロマンティックラブイデオロギーイデオロギーなのだ。

 確か、社会学系のところから出てきたと思うが、吉本隆明の対幻想なんて言葉があったり、わりと昔から疑問視というのはある。夜這いの風習のあった江戸時代から、西欧の近代的な恋愛(?)をやろうとして、というところで、日本文学の古典が面白かったりする。

 

蒲団・一兵卒 (岩波文庫)

蒲団・一兵卒 (岩波文庫)

 

 

 「蒲団」でやろうとしているのが、西欧の小説にあるような恋愛への応援なわけだが、白樺派あたりも取り上げて考えるなら、まぁ論が広がりすぎるか。

 まあ、お見合い結婚主体だった日本では、戦前から徐々に「恋愛結婚」、つまり自発的に結婚する相手を見つけて結婚する、というのが増えてきて、80年代くらいには逆転した、というところだ。親の決めた結婚相手ではなく、親が反対する恋人を選ぶというところでの葛藤、というような物語が説得力を持ったのもそれくらいまでか。

 現代での「お見合い」は、あくまでも本人同士の同意があってのもので、親の意向で無理やり結婚というのはさすがになくなったと。そこでは、「恋愛結婚」派からの思想的な批判があったわけだ。

「好きでもない相手と無理やり結婚させられるのはおかしい」だとか。

 

 まとめると、結婚、というライフイベントに対して前近代的な「お見合い結婚」から、主体的に相手を選ぶ「恋愛結婚」へと主流派は移ってきて、そこで、恋愛至上主義的なものも出てきた、というところだ。

 親の決めた相手と無理やり結婚させられそうだが、実は好きな人がいる、というような人にとって「恋愛」は尊いもので、そこから「お見合い」を批判することに至る気持ち(=恋愛至上主義)というのはわかるが、問題は、そこまで恋愛に対してテンションが高くない人、そして、恋愛がしたくてもできない人(≒非モテ他)だ。

 

*****************

負け犬の遠吠え 講談社文庫

負け犬の遠吠え 講談社文庫

 

 

 このあたり、恋愛至上主義に対するオルタナティブを出すフェミニストがいたものの、そこに乗っかってくる非モテ論壇がいて、リア充という言葉が出てきて、なんだかオルタナティブというのは酸っぱい葡萄でしかないんじゃないか、という流れにもなって、という感じで議論が続いてきて、全体としては婚姻率の低下という結果になったというところだろう。

 主流派への違和感がオルタナティブカウンターカルチャー)になるにしても、それは主流派(リア充)に入れない人間によるものなのか、入れるけど入りたくない人間によるものなのかで評価が変わってくる。

 「恋愛、恋愛って、他に考えることはないの? 男に選ばれることがあなたの価値なの? 他に社会的になにかやることがあったりしないの?」

 

LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
 

  恋愛至上主義を批判するフェミニストの理論に対して、実践としてアメリカだとキャリアのところで挑戦をして、恋愛の優先度は下がって、というところになるのが一つのあり方だろうと思う。米ヤフーCEOの人の本。

 

ポトスライムの舟 (講談社文庫)

ポトスライムの舟 (講談社文庫)

 

 

 対して日本だと、女どうしの連帯とかいったところで津村記久子になっちゃうのかな。なんで政治家にしろ経営者にしろ、日本人女性はこれといった人が出ないのか。いい加減、「男性中心社会」のせいにするのも難しくなってるんじゃ?

 

アズミ・ハルコは行方不明

アズミ・ハルコは行方不明

 

  男性中心社会への批判としては、ちょっと中途半端な本。長続きするような結論になっているかというと疑問。

 

 

 ジェンダー映画としても読み取ることができる「アナと雪」だが、恋愛至上主義へのオルタナティブとして観るというのもありか。

 

 まあでも、ボーイミーツガール・ガールミーツボーイの物語が量産され、消費されている現状というのは忘れてはいけないか。

 

電波男 (講談社文庫)

電波男 (講談社文庫)

 

 

 男性の書いたもので、恋愛至上主義へのオルタナティブの定番というとこれかな。とはいえ、オタクカルチャーの擬似恋愛コンテンツに頼っているというところでは否定しきれていない、と。

 

**************

 で、長くなったので次回は恋愛至上主義(=恋愛結婚)への代替として、ノマドセックス女子、フリーセックス、男の風俗通い、ポルノ、不倫、などなどです。抽象的に言うと、セックスと恋愛の分離、恋愛と結婚の分離、擬似恋愛コンテンツ、というところか。