ヘイトスピーチまわりめも~表現の自由と「リベラル」

https://synodos.jp/society/5010

「「政府は、その思想自体が攻撃的あるいは不快であるからという理由だけで思想を禁止するべきではない」(Texas v. Johnson, 491 U.S. 397, 414 (1989)) という原則を固持しているとされるアメリカに対し、ヨーロッパ諸国では、平等、人間の尊厳、個人の名誉などの他の憲法的価値も民主的価値をゆうするために、それらの権利を攻撃的な言論から保護することは、言論の規制の民主的正当化事由となるとされる。」

アファーマティブアクションというか積極的差別も同じ方向か。

「アメリカでは、ヘイト・スピーチを規制する連邦法はない。州法により、特定の者に対する脅迫等にあたるヘイト・スピーチを規制することは合憲とされる。しかしながら、不特定の者に向けられたヘイト・スピーチの規制は、表現内容規制にあたるとして、その合憲性は厳格に審査され、1992年のR.A.V.判決(R.A.V. v. City of St. Paul, Minnesota, 505 U.S. 377(1992))では、ヘイト・スピーチの一類型である十字架を燃やす行為(*4)を規制する条例が、内容にもとづいて特定の言論を差別的に扱っているとして違憲とされた。」

表現の自由に抵触か。

「リベラル」という定義のよくわからない言葉があるが、まあどちらかというと「大きな政府」志向で、ヨーロッパがまさにそう。税金も高い。同様に、言論にしろ何にしろ、案外規制が強いというのが言えるのかもしれないな。ホロコースト否定で刑罰というのは、まあ歴史修正主義に対抗する意味では正しいにしろ、昔のキリスト教社会みたいなーーというか、封建社会の禁忌のような感じすらある。

性犯罪者への「厳罰化」と合わせて、ヨーロッパのヒューマニズムというのは一回りして中世暗黒時代のように人を縛るものになってくのかなー、と感じた。