囚人のジレンマと信念の相克~ちょっと自分語り?

 基本的にメモ用のブログなのだけど、考えたところ。

 

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 記事の内容はとりあえずいいとして、タイトル、ブリグジットはポピュリズムだと。そして、非ブリグジットこそが理性で、合理的な判断で、ブリグジットは非理性的で非合理的な判断だと。

 

 この記事の記者の価値判断での言葉だが、だいたいはそういうような認識がメディアの「有識者」の間では強いというか、まあ主流だと思う。ただ、EUというのは囚人のジレンマみたいなものなのかな、というのはちょっと思う。

 

 囚人のジレンマの説明は簡単にすると、囚人が二人いて、お互いに自白しなければ二人の罪の合計は一番軽くなる、逆にお互い裏切れば二人の罪の合計は一番重くなる、というような内容。

 

 問題は、お互いに黙秘を続けるのがお互いの利益になると分かっていながら我慢するというのが精神衛生上いいのか、というところだ。理性的に考えるなら、合理的なことを言うなら、黙秘が正解だろう。

 

 ところが、何に重きを置くかはまあ、時代時代に変わると。というか、EUに残るのがイギリスとして合理的、という判断も必ずしも正しいとは限らないと思うが(経済なんて人の行動によっていくらでも変わるのだから予測はあくまでも予測でしかない)、理性的、言い換えれば近代合理主義の価値に対するノンということなのかな、というのもあるのかなと。

 

 仮にだが、黙秘がお互いに利益であるにしても、自白するほうがいいと考える囚人がいるなら、まあ、囚人のジレンマとは「ジレンマ」が発生する。そういう時代なのかな、となんとなく考えたというところで、ぜんぜん自分語りでもないか。