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げんしけん感想~オタクは「告白」できないままが現実だろう(二代目に違和感のある人へ)

 

げんしけん 二代目の伍(14) (アフタヌーンKC)

げんしけん 二代目の伍(14) (アフタヌーンKC)

 

 

  12/22(月)を有給取って4連休にしたものの、電子書籍でマンガを読んでほぼ家で過ごした記録。

 

げんしけん

は、累計300万部で、わりと影響力のあった作品らしく、大学でオタクサークルをいくらか流行らせたとも言われてる。スラムダンクからのバスケのようなものか。

 

 自分の認識では、オタクの日常(生態)をリアルに描いたマンガ、とかいったところで、ブックオフで並んでいてちょっと読んだことはあるのだが、特にはまるということはなかった。大学のゆるーいサークルの日常で乱入する一般人のキャラも立っていて、でも夢物語かなあ、といったところ。秋葉原で同人誌を買ったり楽しそうだな、と思いつつも、自分には関係ないかなという印象だった。

 なぜだろうか、「○○の恋物語」がラストのほうにあっていいとか、「げんしけん二部のようにリア充なオタクが~」とか、そういった言及されている文章を何度か読んだからか、この週末にちゃんと読んでみることにした。連載中で17巻まで買って、ああ結構な金額だ。400円としても6800円か。300円の期限付きのと500円の期限なしのとの組み合わせで、で6000円くらいか。ちょっと痛い。

 

 まあ、電子書籍マンガで金を遣いすぎるというのは置いといて、1巻~9巻の初代は良かった。面白かった。前半の、隠れオタクの主人公がオタクサークルの一員になっていくところや、そのサークルでもあれこれあって人が増えたりトラブル・イベントがあったりで、いくつか恋模様もあり、トラウマからのカミングアウトとあり、あとは、斑目という登場人物の「隠れた恋」というのも、切ない感じが良いと思った。

 


「荻上さんに自己投影し、トラウマ克服のファンタジーを楽しむ」という構図 - シロクマの屑籠

 『げんしけん』八巻を貪るように読んだ。いい話だなぁ。『げんしけん』は、ぬるオタコミュニティのネガティブな面を丁寧に除去し、楽しさと可笑しさに焦点をあてて描写したファンタスティックなオタク漫画だが、この八巻における“荻上恋愛物語”もまた、理想的なオタク物語に違いなかったと思う。

 

 さすがにこういうのの説明は、精神医学・心理学系の素養のある人はうまい。8巻あたりは、ヒーローが弱いヒロインを救う(トラウマやコンプレックスを受け入れてあげる)ことでヒロイズムを満たす、って話でもあり、ヒロインとして自分の醜い欲望や恥をヒーローに受け入れて(救って)もらう、という他者による承認の話でもあると。腐女子関連は、案外ヘビーな事件だなっていうのは思った。告白はドラマになる。

 まあ、重い恋愛パートなのにちょっと主人公の笹原の影が薄い感はあるが、サークルの幹事の男がかっこ良く見える、というのは女性からすると普通のことだろうからここはいいと。

 こういった分析もある。

「げんしけん」はギーグ内カーストを描いた残酷な物語である - 無限の地平はみな底辺

「「げんしけん」はスクールカースト最下位のギーグを描いた作品ではなく、ギーグ内の下位カーストである「消費型オタク」の葛藤を描写した作品である。」

いわく、消費者でしかないオタクコミュニティ内での序列を暴いた作品ということだ。暴いたというか、可視化したというところだ。

 

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 問題は、「二代目」のほう。斑目無双、と言われてるとかだが、斑目というキャラクターの活躍が目立つのが最近の内容だ。二代目の初期については、腐女子あるある、という内容で、それはそれで興味深く読めたのだが、14巻(二代目の5巻目)で「斑目が咲に振られる」という展開となった。これが、どうも人気が高いみたいだ。Amazonのレビュー数でも、このはてなブログでの言及回数でも多い。

 

 内容を説明すると、咲は初代で「一般人」代表で、オタクの面々に引きつつも仲良くなる、という立場だった。対する斑目は「オタク」代表で、饒舌で持論を述べるが現実からは目をそらす「ガリ」で理論家のタイプというか、そんなところだ。

 咲は1巻の時点でイケメンオタクの高坂と付き合うことになるが、実は斑目は隠れた恋心を持ち続けていた。でも、結局告白はできないまま卒業のときになり、でも、告白の代わりにぎこちないが何か通じ合うやり取りをして、というのがリアルで切ない「青春物語」な感じで、初代ラスト(9巻)のハイライトとなった。これは評判が良かったし、手の届かない相手への「恋」というので甘酸っぱい感じが良かった。挫折は青春物語の基本だね。つまり、告白しない、という決断をした、諦める、ということにしたという心情描写が良かったと。リアルだと。

 

 それが、14巻ではなぜか周りのお膳立てで「告白」することとなり、振られると。まあ、良い場面なんだが、ちょっとキツイなーとも思った。

なぜかというと、咲というキャラクターが「嘘」なのに、更に嘘を重ねている点がリアリティを損なっているな、と。

 

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 最近なんとなくだが、人間は自分の信じたいものを信じるのだな、と考えるようになっている。神とかそういう大きな話に限らず、信じたい物語を信じるのだと、自分の望む物語に「リアリティ」を感じるのだと。

 何が言いたいかというと、「げんしけん」という作品は確かにリアルな部分もあるわけだが、やっぱりファンタジーとしか言えない部分もあるわけで、そこを信じてしまう人というのは、まあ信じたいものを信じてるってことなのだろうな、ってこと。

 原発とか集団的自衛権とか慰安婦とか経済政策とか、世の中が複雑化していて判断不能、というのもあって信じたいものを信じるというのが楽な処方箋、とかいった話にも通じるかもしれなくて、日銀の政策が何が良いのか悪いのかを分かってる人は、たぶん日本人全体の5%もいないと思うが、まあ、話が拡散するのでやめる。

 

 咲という一般人代表のキャラクターは、好きな男がオタクだったがゆえにそのサークル(げんしけん)に入ることになる。で、そこのメンバーで饒舌なタイプの斑目ともよく話すことになると。斑目は恋心を抱く。

 ここが、まずもって一つ嘘というか、無理がある。「一般人」がオタクサークルに入る、というのがありえないのだ。とはいえ、作劇上面白いし必要なので、「マンガ的」展開としてはありだろう、とちょっと無理をしている。でも、「リアル」なオタクあるある、オタクの生態、といった真実の部分があるので、嘘を「リアル」として信じ込ませることもできたと。

 それが、初代のラストで斑目の告白未遂になるが、ここはまだ嘘をリアルとして信じさせることができたんじゃないかと思う。本来はサークルにいることが「ありえない」咲という人物に対しての行為ではあるが、卒業シーズンという時期やラストの急展開という事情もあり、また、「未遂」というあたりが「リアル」なので、咲の存在自体の虚構性も気にならなったというわけだ。

 

 ただ、本当に告白して振られるとなると、咲の虚構性が際立ってしまうこととなる。本来であれば、斑目のような「オタク」の男が、アパレル好きの「イマドキ」の女と話す、ということ自体がないはずなのだ。なので、「告白」以前の段階で、まともに話をすること自体がない、友達になることすらできない、それが現実だろう。

 

 告白して振られる、というのは、つまり相手から対等な人間として扱われるということだ。まあ、初対面の相手に「付き合ってほしい」と言って断られるというのなら別だが、14巻での「振られる」場面というのは、友達であるという下地があったがゆえの真面目な対応なのだが、いや、現実にはないよ、と自分は冷めてしまった。真面目に話すら聞いてもらえないんじゃないの?

 

 まあ、しょせんはフィクションなので「良い話だな~」「あったらいいな~」と素直に感情移入すればいいのだが、こういうのを「リアルな話」と考える層には自分は付いていけないし、ベタな「萌え」系の作品よりもありえそうな感じがあるので、かえって有害かなとも思った。

 

※このブログの「フィードバックループの外へ」というタイトルは、物語とそのフィードバックとしての感想の「ループ」が作者と読者、そのコミュニティ内にあるわけだが(お約束、なんて言ったりもする)、そこから抜け出す、という意味だ。ベタな萌え系の作品とは違って見えるが、「げんしけん」はファンタジーだ、ということだ。