久しぶりにアンチフェミなメモ~2022/9/10ネット巡回にて

まず、朝ヤフーニュースで読売の記事を読んで(統一教会関連)、そこからリンクがあったこれ

[人生案内]夫婦生活なく 夫が離婚切り出す : 読売新聞オンライン

>40代のパート女性。夫とのセックスレスについての相談です。

>先日、夫から「セックスレスがつらいので離婚してほしい」と言われました。私は1日3時間ほどのパートなので離婚されたら生活に困りますし、子どももいるので離婚は避けたいと思っています。しかし、夫婦生活のことを考えるだけで気持ちが悪くなり、できません。

>夫の姿を見ただけで痴漢に遭ったような嫌悪を感じ、無視してしまいます。でも家庭を壊すことはつらいです。(山口・W子)

 

有料記事で回答は見れないのだけど、うーん、たとえば、

>ここ数年は、夫が家にいる時は自室にこもって顔を合わせません。

という気になる記述も。

 

要は愛情もないし、顔も見たくもないのだけど、金のために離婚は避けたいという40代パート主婦の悩みなのだが、40代ならまだ元気だろうし働けよ、と思う。離婚してあげなよ、と。

仮に子供が10年後とかに成人したとして、その時どうなるのか。まあ離婚もあるだろうし、と。

小島慶子 「セックスできるママ」手放したくない男たち:日経xwoman

こっちは日経新聞のサイトで見た記事。

>経済的・精神的に自立した妻に別れを切り出されることを、男たちは心底恐れて男女格差を放置する

>蓮舫議員の離婚を揶揄(やゆ)する記事をいくつか読んだ。男性向けの媒体では「傲慢で身勝手な女」と言いたげだ。男たちは、離婚を恐れているのだろう。子育てが終わり、精神的に自立した妻に別れを切り出されることを心底恐れている。そうされかねないことを分かっているから「男を捨てる強い女はクソ女」というスティグマ=烙印(らくいん)を必死で押そうとするのだろう。

>蓮舫氏のケースに限らず、離婚を決意した女性を悪者にしたがるのは、自立した人生観を持たず、妻というお世話係に見捨てられたら生きていけない男たちである。

 

前の読売の記事が「経済的に自立していない女」の話なのと対照的。読売の40代パート主婦は、「経済的に自立した夫から別れを切り出された」わけだが、精神的な部分でもなというか「夫を嫌う」ということでうまく自分を被害者にしてバランスをとってる感じもあった。

まあ、同じことは日経の記事のライターにも言えて、ミサンドリーで読者をつかんでいるというか、男が悪いというところで自分を被害者ポジションに持って行って、それで精神的な優位性を持っている、感じだと。

 

まあつまり、「経済的・精神的に自立している」と自称していようと、経済的に自立できていない場合だろうと、被害者ポジションを取ろうとするのが女で、フェミだと。

(40代男で「私は1日3時間ほどのパートなので妻に離婚されると困る」なんて言う奴がいてどうか? 男女で体力差はあるとしても)

 

だから、

>経済的・精神的に自立した妻に別れを切り出されることを、男たちは心底恐れて男女格差を放置する

という文言は、間違っていて、

 

経済的・精神的に依存している夫に別れを切り出されることを、女たちは心底恐れて女=弱者というポジションを手放さない。結果、男女格差は維持される

 

だろうか。具体的には、配偶者控除の範囲内でしか働かないパート主婦の存在が、日本全体の時給を押し下げているというのもあるし、女性の収入を統計レベルで下げていると。

結果、男女格差は維持される。女自身の行動が、男女格差をキープするようになっているのだ。そして、「パートで3時間」以上の労働をしようとしない。

 

あのさ、パートで3時間を週4として、月50,60時間程度でしょう。月200,300時間労働している男と収入差が出るのは当たり前じゃない? 女の労働時間の短さが、男女の収入格差になっている。これをフェミはだいたい隠すのよね、実に不誠実な連中だ。現実を歪めようとする。(ただ、「時給」換算での男女差もある。専門職や管理職の少なさが原因)

 

>蓮舫氏のケースに限らず、離婚を決意した女性を悪者にしたがるのは、自立した人生観を持たず、妻というお世話係に見捨てられたら生きていけない男たちである。

 

こちらも言い直すなら、

 

離婚を決意した男性を悪者にしたがるのは、自立した人生観を持たず、夫という扶養者に見捨てられたら生きていけない女たちである。

 

かな。問題なのは、女の依存心の強さだろう。経済的な面で特に。

 

**

しばらくパパ活について調べて、色々とメモを残してきたのだけど、性的魅力(魅力資本・エロティックキャピタル)で稼ぐということと、「妻」という立場で夫の稼ぎで生活するのと、実は同じだと。

さすがにパパ活は短期的なもの、下手したら1回限りの関係で、結婚というのは数十年単位のもので違いはあるものの、「金と顔の交換」と小倉千香子は言ったがより直接的に言い直すなら「金と身体の交換」というのでは近い。

 

もちろん人間にとって「時間」というのものが重要なのを無視してはいけない。1時間だけ顔を合わせた相手と、何十年も一緒に過ごす相手が、枠組みとして似ていても、同じと言えるか?言えない。

なのだけど、「マンコパワー」でパパ活をやるパパ活嬢と、「マンコパワー」で結婚して、「1日3時間」しか働かないで済むポジションを得るパート主婦(世の中には専業主夫もまだ数百万人いる)と、何が違うだろうか?

 

**

ま、もちろん夫婦の数だけ関係性は違うし、労働の負担、経済的な負担、精神的な負担、も異なると。基本的には、通勤時間も含めるなら家事労働含めて男女はイーブンに落ち着いてるっぽいのだけど、フェミはどうしても女の負担が多いとしたいと。まあそこはいいや。

 

***

まとめると、

小島慶子 「セックスできるママ」手放したくない男たち

という記事があったが、これは「ママ」=家事を行う人ってことかな。で、最初の読売の記事を論評するならこうなるだろう。

 

「(セックスなしの)パパ」を手放したくない女たち

 

うーん、「パパ」は本来はセックスを求めてこないものだし(求めるなら児童虐待)、うまくハマらないな。

もっとアンチフェミで行こう。

 

「ATM夫」を手放したくない女たち

 

もしくは

 

性的に認めない夫を手放したくない女たち

 

だろうか。そして、それはパパ活女子(茶飯嬢)も含めていると。