感想~【生放送】西田亮介×三浦瑠麗「大阪都構想の可能性をいまこそ考える」

  内容的には三浦瑠麗のキャラクター紹介というようなところか。ディスコミュニケーションも含めて面白いものだった。対談としては成立していなかったとも思うが、そこも含めて興味深かった。以下、敬称略で。

 

 三浦のポピュリズムが足りなかった、というブログに対してポピュリズムの精度うんぬんが足りなかったと西田が自説を述べる。
 そういう「後だしじゃんけん」に対して、ある意味、不誠実に対応したということなのかな。お互いに意見をぶつけあうというよりも、論点をずらすと。相手にしないと。
 それについては、「リニアな改革の継続?」うんぬんという西田の説に対して、対案を示してない態度が駄目なんじゃないかとメタに返したが(学者としてはいいが、と留保付き)、つまり、こっちの意見に対して乗りかかる形で立論しようとする態度が気に入らない、というのを態度で否定を示したと。

 たぶん、西田のほうが肝心のスライドを前もって見せなかったということなんじゃないか? 前持って見せて、打ち合わせしていた後の対談がああならさすがに失礼だが、見せていなかったということなら、いきなり出してきたほうが失礼だとも言える。
 とはいえ、言論というのは一種のプロレスなのだから、相手の考えているシナリオに合わせて意見を言っていく義務はないと。相手に合わせて、つまらない話をする必要もないと。

 

 あとは、「ハンチントン文明の衝突)みたいな大きい構造を出して分析するのが特徴」と自己紹介をする、演繹的な考え方をする三浦に対して、社会学者である西田のほうは、帰納法で、下から積み上げていく感じの思考の人ということか。「僕は具体的なことにしか興味がなくて」とも言っていた。
 そういった思考法と、あとは知識のバックグラウンドが違うのもあって、話がかみ合わなかったのだろう。
 
 また公共政策のように細かいことをやって、実務もやっている西田に対して、三浦は明らかにマキャベリスティックだ。手続き重視というより、結果出せ、という立場だろう。
 「手続きが大事だ、って何もやらない言い訳だろう」といった本音もあるのだろうと邪推。わりに攻撃的。世の中に苛立ってるのが個人的には好き。

 「ポピュリズム」を現象として分析したい、語りたい西田に対して、ポピュリズムは手段でしかないし別にどうでもいい、といった感じの三浦。都構想の失敗はなんでだったのか、と自説を語りたい西田に対して、いや、その先の日本の政治や、都構想の失敗からわかった日本の政治風土のほうに興味がある、という西田。

 色々と、そのあたりの問題意識の差というのが興味深い放送だった。


*********************以下はまとまらないメモ。

20:18~
 ポピュリズムが足りなかった。もっとうまくやる余地があったというのは? たとえば経済的な無駄な処置を、税額控除として年5万くらいばらまく、というのはできたんじゃ?
 など、そのあたりを深く掘り下げたいと考えたと。維新の理想主義が反発されたんじゃないか。維新の政策は自民と似ているが、談合などしないところが違う。ポピュリズム的なことをしなかった。
 原理主義的に「正しいことだからやる」=イデオロギー、に対して一般の人の反発があった。日本人は善悪二元論など、迫られるのが苦手。
 「完全な相対主義」に反対された。話し合いなど? 談合など(自民的な保守勢力)そういった勢力に負けたんじゃないかと。

 手段として、シルバーパスをなくすなどの恐怖政治なり、税金の還付なり、ポピュリズムが足りなかったんじゃ?(飴とムチか)

 

28:00~

西田 維新は、行政の合理化などを旗印にしていた。その政党がバラマキをできるのか? これまで言ってたことと矛盾では?

 バラマキはよくないですよ。でも民主主義なわけですよ。橋下さんは「退場します」と民主主義を尊重していた。ロジックで説得できる20代、30代男性などは説得できたが、そうじゃない人たちは説得できなかった。グローバルな競争力うんぬん、なんて普通の大阪市民には拒否感がある。
 松浪さんの必死感。最後は理想主義で突っ走った。「民」(たみ)に適切なうまみを提供できなかった? というのがある。

 失敗はしたが、都構想がどうとかそういうところは超えたと言える。日本人の民族性なり、民主主義の課題というところに対して橋下さんはインプリケーションを提示した、と。改革、というのをどうしたらいいか(現役世代として)。そこのあたりのインプリケーションをどう捉えるか(に興味がある)
 
 で、なぜか話が広がって道州制
1.維新的な競争原理。上海と競争とか。自助自立
2.民主党的な、財源を地方に、という考え。
3.官僚的な(官僚出身者)-官僚がコントロールするというところで、健康保険を市区町村でまかなえないなら、県単位。州単位とか。(ミニ中央集権国家ということ?)

 そのあたりの三すくみの勢力の対立が、住民投票前からバックにあった。そのあたりが今後も出てくるかも。

(ここの議論というかプレゼンテーションは、かなり論点をずらしていくと。どうでもいい細かい質問してくるんじゃない、もっと大きい話をさせろよ、と態度で示しているということか。維新の敗北の先の話もすると。全国の話)

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 このあたり、意図的に話を広げて行ってるのか(東大話法?)、天然で話しているうちに乗ってきて広がるのかはよくわからない。
 このへんで、西田が「関西出身なんですか? ・・・すみません、どうでも良い話ですね」とすべって、「僕は具体的な話しかしないんで」、と自分の領域に持っていこうとする。「~が我々の仕事じゃないですか」と共感を求めて言ってみるが、あんまりうなずかないのが面白い。
「じゃないですか」話法が通じない、というか無視すると。このへんも興味深い。というか真似したい。

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センターピンとしての二重行政? というのはどうなのか。逆に手厚い行政サービスなのでは? 二重行政という用語は、広報会社も使っていた?
大阪市行政改革としてはそこそこうまくやってる。そこの継続の話がなかった。レバレッジを利かせるような方針でいったのが反発あったのでは?

 

 それは、反対陣営のロジックに対してもってきている。要は、荒を突くような考え方だと。政治勢力としては下の下。対案出せと。

 政治勢力としては下の下ですよ。政権取りに行け、と。対案示せ、と。
 都構想という黒船が、戦略がなかったところに戦略をもたらした。(チャンドラーの経営戦略論。組織は戦略に従う)

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 日本の村社会。談合体質の文化に対して、改革をするのは難しい。そこでどう揺さぶりをかけるか。機構改革をぶち上げる。そうすることで、対案を出させる?
 
 改革を通すことよりも、挫折したことが日本人を強くすると。

 政治は、プロレスのようなもの。ただし、観客を意識しながら。
 国際協調、介入主義。少数派うんぬん
 日本の有権者の6,7割は保守で、投票先もそういうところ。

 

などなど。後半は、脅迫めいた手紙が届くとか、他の政治学者と意見が合わないとか、ちょっと告白ぎみの感じになっていた。タイムシフトで2回ほど見ただけなのでまとまらず。さーせん。