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狭義の『文学批評』の誕生、スクルーティニー、ニュークリティシズム1~文学とは何か読書メモ2

 1 英文学批評の誕生

y-cybernetics.hateblo.jp

 

 この章は、1.時代背景 2.スクルーティニー 3.ニュークリティクス に分けられるかと思う。

 

 最初にロマン主義の話。

ロマン主義 - Wikipedia

 『文学に関するもろもろの定義が現在のようなかたちをとりはじめたのは、実のところ、『ロマン主義の時代』以降のことだ。文学という言葉の中に現代的な意味が発生したのは19世紀なのだと言ってもいい』

 とのこと。

 『詩という言葉は、初期産業資本主義時代に突入した英国を支配していた功利主義に、まっこうから対立する人間の創造精神を意味するまでになっていた。』

 と、このあたり、アメリカのヒッピーカルチャーなんかにも通じるが、ある意味でカウンターカルチャーとして出てきた、という部分があるわけだ。文学というものが。

 文学を称揚するというところでの、文学批評が、といい直したほうがいいか。歴史的には、アメリカの独立戦争フランス革命などの革命の時代で、イギリスでは

『事実に隷属する合理主義的・実証主義イデオロギーに対する生きた批判として登場する』

 というのが文学(詩)になった。実際、ブレイクやシェリーなど、ロマン派の詩人は政治活動家でもあったとか。このころはまだ美学理論の象徴などが批評(文学の読み方)として強かった。

 補足として、現代でも英国中産階級のオフィシャルな哲学は経験論哲学とのこと。法学の言葉だと、コモンローってところでしょうかね。フランスやドイツなど大陸の成文法に対して、イギリスは判例法が強い、といった話につながるかもしれない。

 

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 19世紀後半に、英文学研究の発達が起こった。原因としては、『宗教の破綻』が挙げられる。宗教に代わり、社会(国家)をまとめあげるイデオロギー、精神的な土壌として『文学』がクローズアップされたと。

 ま、共産主義に対する恐怖、というのも大きかったか。どうもこの章は、イギリスという国の歴史と大きく関係してくるので、それなりに歴史の知識が必要となる。ヴィクトリア朝のイギリス、というのでイメージが出ないと駄目と。夏目漱石のイギリス留学が1900年なので、そのころでもある。

 

 英文学(教育)は、大学よりも専門学校などで進められてきた。公務員試験の科目に加えられ、と制度(政治・支配体制)に組み入れられてきたが、女性や2流の男向け、という面もあり、オックスフォード、ケンブリッジなど名門大に科目として入るのは第一次大戦前(1914年)くらいだった。

 東京大学なりで国文学が論じられるようになったのはいつごろなのか、もしかしたらオックスフォードなどより早いのかもしれない。ただ、イギリス(アングロサクソン)の実学重視の姿勢というのは、やっぱりあるのか。

 

 あとは、日本と同じような事情として、英文学(批評)が育ってきた、というのがわかる。日本だと、天皇制や神道が国威高揚のために使われたが、英国の場合は英文学がそういう役割を担うものとされたと。特に、第一次大戦での国民国家どうしの戦争というところで、国家という共同幻想を強めるためにイデオロギー的、擬似宗教的な役割が期待され、また、戦後の精神的荒廃を癒すためとしても、『文学』の役割というのは期待され、英文学研究、というのは発達したと。

 

 少し補足すると、『批評家』は、より作品を深く読む人として尊敬される、と仮定する。社会的な尊敬を勝ち取ると。スポーツで、金メダルを取るとかと同じようなものだ。一般の読者は、その人と同じ読みをしようと、熱心に作品を読むと。(数十年前までの『文学者』に対する尊敬はそんなものなのかもしれない)

 こういった感じで、『文学』を読むことが社会的に好ましいことであり、推奨されると。そして、そのために国として学校に学部を作ったり、公務員試験の科目として入れたり、と、『文学』を読むインセンティブを国民に作ると。

 そういった状況が、第一次大戦前後のイギリスでは起こっていて、たぶん、日本もそういうものを模倣した部分はあるのかな。まあ、今の日本で言えば『イクメン』を推奨するようなもので、(メディアも政府の意図に乗ってきている)、文学を読むことが推奨された、というのがこの章1/3ってところだ。