女子マネとルサンチマン

 

道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

 

 もとは日刊スポーツの以下の記事で、

 

春日部共栄 おにぎり作り“女神”マネ - 高校野球ニュース : nikkansports.com

 

「チーム内で“まみタス”と呼ばれ親しまれる三宅麻未マネジャーは、記録員としてベンチに入った。おにぎり作り集中のため、最難関校受験の選抜クラスから普通クラスに転籍」

 

というので、炎上。野球部のマネージャーを学業より優先、というところで色々な意見が出た。

 

 本人の自由だろう、といった許容派に対して、批判派の代表的なものだと、

「この女子マネージャータヒねよ!(激怒)」(大山結 Yuppi516)

など。この人は軽く炎上。

女子マネージャーにやりがいを見つけた女子がフェミニストの最大の

などもあった。

 

夕刊フジの続報では、

春日部共栄敗退 “おにぎりマネ”も涙 一般入試に向け「たたいた人を見返します」 - スポーツ - ZAKZAK

 

ツイッターなどのコメントに対して、

「これから勉強を頑張って、推薦でなく一般入試だけを考えています。たたいてきた人を見返してやらなきゃ」

 

とのこと。学業よりも部活を優先したことに対して、批判があったが、逆にAO入試や推薦入試などで有利になるのだから、と反論があり、そこから発展して、彼女がそっち狙いでメディア露出もしたんじゃないか、という邪推が出てきたことへの反論だ。

 

             *

 

 僕としては、彼女の行動を支持したい。ただ、美談だとまでは思わなかったし、選手でもないのに変わったことする人だな、というのが正直な印象。でも、全然良いと思う。

 

 理由としては二つあって、もともと地頭が良いのであれば、半年あればそれなりの大学には入れるだろうし、別に大した損失でもないだろうと思うのが一つ。もう一つは、こういうのでルサンチマンを発揮するのは、しょうもないモラリストだな、というので今回のタイトル。

 

 永井均ニーチェから引き出したルサンチマン論は、簡単にまとめると

・本当は欲しかったのに手に入らなかったものを「すっぱいブドウ」とする。あんなものは価値がないと。

・そこから転じて、「すっぱいブドウ」を手にしないのが正しい生き方で、他人が「ブドウ」を手にするのを非難するようになる。

 

といったところ。つまり、他人に道徳を強要するような人間というのは、その裏の心理としては、非道徳的な行為、享楽的な行為への憧れが中にはある、という指摘だ。

 

 今回の「女子マネ」騒動については、性別役割分担の再強化だとか、報道の姿勢だとか(日刊スポーツに期待することか?)、色々な観点がある。

 

 「本人がスポーツの選手となる部活の場合なら、学業より優先したとしても別に反対しなかった 」

 といった意見も多いが、そうは言っても、学業よりも部活を優先すること自体に嫌悪を感じる層というのは多いんじゃないかと思う。子供にそういった生き方を求める親というのもいるだろうし、部活の盛んではない進学校というのも珍しくない。

 

 釈然としないのは分かる。本人にスポーツの才能がいくらかあって部活を頑張る、というのが本筋だろう。野球部のマネージャーの仕事というのがどういうものか詳しくは知らないが、スポーツの才能の有無と比べるならば、内容的には「誰でも出来る」んじゃないかと思う。(作業量は大変にしろ)

 そこにルサンチマンが発生するのだろう。何でこの子がスポットライトを浴びるのだ、と。大したことやってないんじゃないか? 学業より部活、それも選手じゃなくて裏方のマネージャーを優先するなんて、けしからん、と。「まわりが止めるべきだった 」と。

 

 このあたり、「非モテ」論にも通じるところはあるかもしれない。何であんな不真面目なやつがモテて、自分はモテないんだ、といった怨念が、そういったブログを見ていると散見される。

 

              *

 

 春日部共栄は敗退したが、これからも彼女に対する(ネット)社会の関心は続いていくだろうと思う。もし、一般入試で有名大学に合格、ということになったら、嫉妬の嵐が吹き荒れるだろう。

 

 もちろん自分の中にも、ルサンチマンのようなものがあるし、部活なんてエネルギーの無駄遣いでしかないとも思うが、逆に、何が大事なのだろうというのも思う。

 

 レギュラー選手であっても、プロになれないのだったら、その努力が職業と結びつくということはないだろうし、そういった意味では部活を学業より優先するなんてくだらない、という意見も一理ある。

 ただ、コミュニタリアン的な主張になってしまうが、「共同体」や「仲間」といったものの方が、学歴なんかよりもよっぽど大事だとも思う。そこは、野球のようなメジャースポーツだけではなく、マイナースポーツであっても同じこと。スポーツ以外の、学業以外の活動でも同じ。共同体のために尽くしてきた、という経験は後々役に立つだろうし、今の部活の関係者が今後何か困ったときに助けてくれるということもあるかもしれない。(このあたりもルサンチマンが出てくるかもしれない。) また、「学校の勉強」を頑張ったところで、それを役立てて何かに使う、というのがないのなら、まるで意味がない。高学歴ニート批判? とは限らないけど、それはそれでエネルギーの無駄遣いだろう。(人文系の学科はそのあたりが課題となってる) なので、特進クラスから普通科に移って、3年間マネージャーを頑張ってきたという彼女を批判するようなことはやめたいと思うし、批判する側は、なぜそういう心境になるのか、よくよく自身の心を見つめるべきだろうと思う。